2009年の総選挙の前、民主党の鳩山由紀夫は沖縄にある米軍基地(普天間海兵隊飛行場)を国外とか日本国内の他の地域に移そうと言った事がある。だが、彼は2010年5月には、基地の移転は党の公約ではなく、自分の個人的な発言であったと、そして知れば知るほど沖縄の米軍基地のおかげで戦争が抑止されていたと思うと言った。彼が、基地移転が個人的だったと言ったのは、それをしない責任が民主党にはないという意味である。それに、どんな戦争を抑止するかはわからないが、彼はそういって沖縄基地の存在を擁護した。もう下がっていた彼の支持率はこの発言の以後もっと下がることになった。そして約一ヶ月後、彼は首相から降りた。鳩山を首相から降りさせた要因の一つである沖縄の米軍基地はいったいどんな問題なのだろうか。
普天間飛行場: 最初から基地が町の中にあったことはないが、今は町が基地を抱いている。 |
沖縄の基地化の過程
沖縄は1609年に徳川幕府に併合された。琉球時代から沖縄にはあまり軍事基地といえるものはなかったが、その伝統は明治以後までも続いた。だが、沖縄の非武将の伝統は日本の帝国戦争の時からなくなった。1941年、沖縄に始めに軍事要塞が建設され、42−3年ぐらいから沖縄は日本南部を守る基地になった。ミッドウェイ海戦で負けた後、大本営は不沈空母という観念を発展させた。不沈空母というのは南太平洋の小さい島を航空基地で使う作戦であった。そのため、本土と太平洋の島を中継する基地が必要で、沖縄に軍隊を駐留し、44年には沖縄首尾軍の形が完成した。米軍の進撃がもっと近くなって、政府は45年まで沖縄に16の飛行場を建設した。沖縄の要塞化はそういうふうな過程を通して完成した。
戦争中、沖縄を占領した米軍は先の飛行場を使うと同時に、新しい基地も建設した。普天間飛行場は米軍が新設したものの一つである。そして、米軍は必要な資源を任意で使えるうえ、住民を強制収容した。そして、軍事的に不必要な部分を住民に開放することによって、以前、今の米軍基地の周りに住んだ住民は新しい所で集団的に定着した。この点は本土とは違い、戦時占領と言って、米軍が無償で占領地を基地として利用するのが、国際法上ある程度認められている。
1952年サンフランシスコ条約によって、日本国は独立国になった。が、沖縄はその条約の第3条によって、アメリカの占領が続いた。アメリカは米軍の下の民政組織であるUSCA(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)で沖縄を統治した。そして、国際法などに基づいて半強制的に基地の使用も続いた。53年には武将した軍人を動員し、農民の抵抗を鎮圧しながら、新しい土地を基地にわりやてた。54年アメリカは沖縄の米軍基地についてそれの16.6年分の費用を一度に支払おうとした。それに沖縄の住民は56年「島ぐるみ闘争」という、島全体を巻き込んだ闘争を展開した。
島ぐろみ闘争 |
ベトナム戦争の頃がら、沖縄は米軍の出撃基地になった。つまり、米軍がベトナム、中東、アフガニスタン等で戦争した時、戦場に物資や人力等を供給する一種の補給基地になったという事である。ベトナム戦争の時から沖縄の住民達は反戦・平和運動をしたが、彼らの望みは聞かれなかった。
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1969年米軍基地の労働者達のストについての新聞記事(朝日新聞)。米軍基地の労働者組合である[全軍労」は58年から反戦・反基地闘争をした。 |
参照
Feifer, George. “The Rape of Okinawa.” World Policy Journal 17, no. 3 (2000): 33-40.
Egami, Takayoshi. “Politics in Okinawa since the Reversion of Sovereignty.” Asian Survey 34, No. 9 (1994): 828-840.

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