沖縄では三つの大きい反基地運動があった。最初は56年に、二つ目は70年ごろ、三つ目は95年にあった。56年には上に述べたように、米軍の強制的な土地のわりあてが要因であった。サンフランシスコ条約によって沖縄の統治を始めた米軍は、沖縄に日米安保条約による日本本土内とは違う、太平洋の重要な基地を建てようとしていた。そのため、米軍は沖縄で自由な土地使用を望み、武力を使って強制的に土地をわりあて始めた。そんな政策の反対で、沖縄では広範囲な反基地運動、つまり島ぐるみ闘争が起きた。この反対闘争は何より住民達の生計と生活を守るためであって、住民の意見を無視する政権に対する民主主義の表現であった。だが、米軍はブルドーザーを先に立たせて、自分の計画を貫徹した。
60年代には、米軍が沖縄をベトナム戦争の前哨基地と使おうとして、核武器を搬入したりして、問題になった。日本はその時、反核主義を擁護し、68年核空母である米軍のエンタープライズ号が佐世保港に入る事が問題になった事もあった。しかし米軍は沖縄へ(基本的に日本の領土ではない)核武器を配置して、住民の反感を買った。で、60年代の始めから、沖縄では祖国復帰運動、つまり日本の憲法の下に戻そうとする運動が起きた。71年には、沖縄が72年に日本に返還する事になったが、軍事基地はもっと強化し、米軍以外に自衛隊も沖縄に入ることになった。それに対して、沖縄では祖国復帰・反基地・反自衛隊・平和運動が起きた。
72年の後には、米軍占領期とは異なって、反基地運動の熱気はさめた。だが、95年に三人の米軍の軍人に13歳の少女が強姦される事件が起きた。米軍の強姦自体は珍しい事ではなかった。正確な統計はないが、約300件の米軍の強姦事件があったと思われており、今でも起こている。しかし、95年の事件は沖縄全体的な反基地・反軍隊的な運動もたらした。
沖縄であった、反基地・反米軍運動は、時には沖縄住民の生活権に関する問題からとか、時には反戦・平和主義等のもっと大きな問題から起きた。72年にアメリカは沖縄を日本に返還換したが、それが沖縄の平和を意味する事ではなかった。沖縄人のかなり多い数が米軍基地で働いているが、時々米軍の存在は仕事の問題を超える沖縄人生存自体の問題になっているのだ。
参照
Aldous, Christopher. “Achieving Reversion: Protest and Authority in Okinawa, 1952-70.” Modern Asian Studies 37, no. 2 (2003): 485-508.
Inoue, Masamichi Sebastian, John Purves, and Mark Selden. “Okinawa Citizens, US Bases, and the Security of Asia.” Economic and Political Weekly 33, no. 6 (1998): 264-266.
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