Friday, April 15, 2011
プエブロ号事件
Monday, April 4, 2011
トモダチ作戦、結論
実は、最近の東日本大震災と呼ばれる地震、津波、原子力発電所危機の時、在日米軍基地の役割が突如に明らかに理解されられるようになったと言える。米軍基地は、「トモダチ作戦」という救難支援活動の為によく使われている。アメリカからの救援物資(NPRによると、一台だけのアメリカ海軍運送飛行機がブランケットを4トンと食料を2トンを持って来たそうだ[1])が基地を通って災害地に分け与えられている。その上、基地は救難ヘリコプターやアメリカから来た災害救助犬チームなどの救難支援活動部分の事業本部になった。今、津波の生き残りを探し求めているチームの2万5000人の内、7千人がアメリカ軍人である。日本にいるアメリカ軍人が欠かせない支援を送り、他の日本を手伝いたい国々に対し、アメリカは自国の施設があるから、日本政府にもう一つの負担をかけないで救難支援活動に参加出来る。
危機の時、在日米軍基地が良く役に立てるとおもっている。が、日常において、理論的、実際的、社会的などの問題があると言わざるを得ない。在日米軍基地の存在が必要であるかどうか判決するのが難しいとは言うまでもないが、仙台や宮城県などの津波の被害者がアメリカ人が手伝ってくれた事の経験をすぐには忘れられないと思う。だから、私は、トモダチ作戦を見ると、今でも、米軍基地は日本でいい役割が持てるかも知れないと思う。
[1] http://www.npr.org/011/03/20/134699706/japan-relief-efforts-centered-at-u-s-military-bases
反基地闘争
色々な問題
沖縄の問題
普天間飛行場: 最初から基地が町の中にあったことはないが、今は町が基地を抱いている。 |
島ぐろみ闘争 |
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1969年米軍基地の労働者達のストについての新聞記事(朝日新聞)。米軍基地の労働者組合である[全軍労」は58年から反戦・反基地闘争をした。 |
終戦直後終
戦直後の連合国軍占領の時、日本はアメリカに非軍事化された。非軍事化を永続的にする為に、米国は「平
和憲法」とよく呼ばれるようになった新たな日本国憲法を書いた。なぜそう言われているかと言えば、9条は戦争を放棄したからだと言える。憲法9条によると:
「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」[1]
この平和主義的な憲法は日本が攻め込んだ東アジアの国々に地政学的な安定を保つ為であった。自分の軍隊を作らない代わりに、日本はアメリカに守られるはずであった。しかし、アメリカにとって中華人民共和国や北朝鮮などの東アジアの共産主義の国々の「威嚇」は日本の「威嚇」より危ないとみなされた。だから、朝鮮戦争が勃発して、大部分の連合国の軍隊が日本
から出た1950年に、GHQと易しく言える連合国軍最高司令官総司令部が7万5000人の警察予備隊を創設させた。この部隊が後程に今の自衛隊になった。自衛隊の存在が憲法に反するかどうかは別にして、その存在を見ると、在日米軍の目的は日本を守る事だけではないのではないかと考えられる。実は、日本での米軍基地は、平和的な同盟国を守る任務だけではなくて、アメリカの東アジアと太平洋政策を支えた。例えば、1983年に中曽根康弘元首相は日本がアメリカにとって「不沈航空母艦」と述べた事から見られるように、在日米軍基地が冷戦中のロシアや中国に対抗する為の重要なツールになっていた。
[1] ARTICLE 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. (2) To accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
入門
入門
国際政治において、最も明確
な言葉やアイディアでもの定義がはっきりしない事が多い。例えば、「平和主義」。暴力に反し、戦争などに参加しないという意味ではないだろうか。しかし、自分では参加しなくても、戦争に参加している他の国に間接的に支える事が平和主義だと言えるだろうか。「平和主義」の国は、軍隊から国民をなくしめるのを予防したいのではないであろうか。が、同盟国の国民をなくしめる軍隊が国内にあるのを許したら、その時でも、自分が平和主義の国だと呼んでも良いのだろうか。どこまでが平和主義だと言えるだろうか。その質問に答えるのは事実上不可能なほど複雑だと言える。だが、実は、答えられないからこそ、簡単な問題より面白いかも知れない。
これはただ理論的な話ではない。実は、日本とアメリカの戦後関係の中には在日米軍基地という矛盾に基づいているのではないだろうかと思う。もっと詳しく考えよう。
第二次世界大戦の終わりから、米国軍隊は日本に軍隊基地を持っている。終戦直後、在日米軍基地は米国による占領(1945年から1952年まで{沖縄は1972年まで})と深くかかわりを持っている。時がたつにつれ、日本での基地はソ連に対する冷戦の為のツールになっていた。しかし、近代、占領が終わっても、ソ連が敗れて消え去っても、何万人のアメリカ人の軍人や海兵が日本にいる。本当に必要かという質問がよく問われているようである。その上、平和主義をよく守る日本に米軍基地があるという事はとても不便なだけではなく、社会的安定に悪いと言う意見がよく言われる。
Tuesday, March 22, 2011
宿題
日本の裁判員制度の導入に反対だ。だからと言っても、一般人の司法の参加に反対な訳ではない。実は、裁判員裁判が、制度が公平に発達されたら、民主主義の一番大事な部分の一つだと思う。日本の裁判員制度に反対するのは、制度が機能不全で、基本的な目的を貫けないからだ。理論的に、裁判員は、一般人の良識を使って、政府の独裁的な影響を中和したり、被告人に公平な裁判を保するはずだと思う。被告人はいつも「無罪」と判断される訳ではなく、両側、つまり弁護士も検察官もに出来るだけバイアスなく判断する訳だと思う。しかし、裁判員が裁判官と一緒に判決と罰を言い渡す場合は、裁判員が裁判官の裁判についての意見に影響されすぎるのではないだろうか。裁判員裁判とただ裁判官の裁判の結果が結局同じになる可能性が高いとは言えないだろうか。裁判員制度は政府の裁判での独裁的な影響をストップさせなければ、成功だと呼ばれる制度になれないと思う。
宿題
Monday, March 21, 2011
参照 & Further Reading
http://www.npr.org/011/03/20/134699706/japan-relief-efforts-centered-at-u-s-military-bases
Aldous, Christopher. “Achieving Reversion: Protest and Authority in Okinawa, 1952-70.” Modern Asian Studies 37, no. 2 (2003): 485-508.
Inoue, Masamichi Sebastian, John Purves, and Mark Selden. “Okinawa Citizens, US Bases, and the Security of Asia.” Economic and Political Weekly 33, no. 6 (1998): 264-266.
Wednesday, March 9, 2011
米日安全保障条約と反対闘争
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1950年安保闘争についての映画『日本の夜と霧、1960』 |
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| 安保、米軍、ストライクについての新聞記事 これを見ると、日本からも安保条約の延長を望んでいた事か分かる。 |
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| そして、あまり好きじゃない人もいる。 |




